るじょーむ(平成14年10月号)

 

9月例会海外視察研修を実施

プロジェクトY

時代に先駆けた文化愛好の町長・望月磯平 

望月磯平の別邸「琴月園」は現在の栃木市立東中学校の南側にあった。この地を軸に中央の政治、財界の人々や、文化人とも親交を結んだと思われる。伝わるエピソードには、私財を投じて栃木の為に、という種類のものが多い。例えば、鉄道誘致に関して、東武の根津嘉一郎と交渉をする為に、様々な工夫をした、といったものだ。しかし、資料が少なく、その多くが真偽のほどは分らなかった。また、栃木で行なわれた陸軍特別大演習を記念して、磯平は有志とともに、当時の画壇の寵児、小室翠雲を招き、山水画15図を4日間にわたって描かせ、その屏風を公開した。その全貌は、写真図録「餘光帖」にある。
 磯平が町長になった明治44年、大学から戻って間もない松下吉衛(後の栃木幼稚園長)に依頼し、編集させた「現代之栃木」(栃木商業会議所発行)には、当時の状況と展望とが凝縮されている。松下は熱弁を奮う。「人生は趣味なり」趣味ある所、人生あり。趣味なき所、人生なし。或る者は黄金を欲し、或る者は名誉を望み、また或る者は学究に志す。趣味畢境精神内容の発現にして人格品性の体現のみ。趣味の向上はやがて栃木を刷新する。ものごとには、個性あり、天職あり。この天職を深く自覚し、この個性を善く発揮して、そこに初めてその存在価値がある。我が栃木の個性を悟り、天職を知り、精進不退転向上の一路を辿るとき、そこに初めて我が町存在の価値厳然として存立する。然らば其の個性とは何、天職とは何。是れ実に我が町将来の運命を占すべき根本問題にして、其の消長盛衰はまさにこの解決にある。志あるものは、先ずこの問題について深思熟慮しなければならない。松下は具体的な解答は語らない。だが、この熱い問いかけには鮮烈な印象がある。
 望月磯平は、こうした価値観に、共感を抱いていたと思われる。しかし、時代は、明治後期から昭和にかけて、一時の好景気を除き、不況、恐慌を繰り返す。その中で、地方の商工業者は、全国的な大きな渦の中に呑み込まれていく。磯平の稼業「古久磯」本店は、現在の栃木市万町「山本有三記念館」にあった。今も、その雰囲気を伝えている。

轄イ山 佐山正樹

 

食にこだわり

「グルメ」とは程遠く、大抵の食べものはおいしいと思って食べられる私。そんな幸せな舌を持つ私を一瞬だけ、にわかグルメに変身させる食べもの、それが「ちたけ」なのです。このキノコは、手元のキノコ図鑑にもその旨が記載される程、なぜか栃木県人にのみ愛好されているようです。毎年、お盆の時期になると、私の周囲は俄然騒がしくなる。私もその一人ですが、今年は大変な豊作だったらしい。私はというと、腰と肘を痛め、鬱々と「大漁」の情報に悶えておりました。我が家には、至福のこの時を迎える為に、某工務店謹製の手打ちうどん台がある。ここで自ら打ったうどんを、採ってきたちたけと家庭菜園で育てたナスで食するという最高の楽しみの一つが、ことしは無かった訳で…
あーあーあああああーあー、それが今年の夏の出来事だった(北の国から調で)。

                              国際委員会 副委員長 田名網文男

 

 

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