栃木市文化財マップに掲載されているほとんどの"蔵"修景を手がけられ、技術の継承にも積極的に取り組んでいる拒蝠コ工務店社
代表取締役
山本兵一さんにお聞きしました。 Q:蔵の修景に取り組んだ経緯は?
A:1988年頃、蔵の街ルネッサンス街興しに参加して、油伝さんの店を直すのに、会津復古会の事例があるので、会津に行ったことがあるんですよ。その時に、会津の会津葵会を見に行って。蔵ではないですが車庫を古い雰囲気に改装したのが始めですね。その時からです。それから、釜利さん、大通りと毛塚紙屋さんの裏の蔵などやってきました。栃木の街は、道路に面して店が有って、脇に通路があって通路の奥に住まいがある。住まいの裏に蔵があるのが多い。太田義男さんの蔵の場合は、見世蔵が有って住まいがあり、のみの市通りの方まで蔵が4つ有った。太田さん曰く"第一勧銀に貸したとき、蔵を2つ壊した、わしがあっちに行ったとき先祖に、先祖が作った蔵を壊しやがった。と言われると思った。自分が元気なうちに蔵を直したい"と言われた。住まいの中の蔵を直して、店の蔵を直した。江戸の末期から大通り沿いに、同じ時期に蔵を作ってきたわけですよ。目を瞑ってみると、大通りに建前した家がずうっと在った訳ですよ。例幣使街道にもあった。例幣使街道と大通りの蔵の造りは違う。大通りの蔵の方がお金をかけているというか立派だと思います。例幣使街道の方は、塗家造りと言って木が見えたりしている。表は漆喰。江戸の末から大正にかけて例幣使街道、大通りにかけて立派なのもが在ったわけです。
Q:栃木の蔵の年代は?
A:蔵ができはじめたのは、江戸時代。天保4年の栃木の町の長者番付があるんですが。呉服、鰯、造り酒屋、質、油、材木などですね。江戸の末の蔵が多い。
Q:なぜ栃木に蔵ができたか?
A:ひとつは、豪商がいた。蔵の裏に住まいが付いている。その裏にまた蔵があります。住まいが立派。お茶室もある。なぜ、お茶室をつくる人がいたかというと、設計士は旦那さん自身なんです。施主がいて施工者がいた。材料は舟で持ってくると費用と時間が係ったわけです。栃木には、粘土と土が有った。箱森瓦(今の箱森から野中町周辺)を焼いていた。江戸中期栃木には瓦が焼けた。また、基礎は砂利をしいてその上に基礎の石を乗せる。石はどこから持ってきたかと言うと岩舟石を使った。どの蔵もだいたい岩舟石を使っている。大谷石を使っているのは無いですね。一回だけ、鍋山で、蔵を見たときは、砂利をしいて石灰と混ぜてセメントの様にしたのがありましたね。石の大きさには規格があって、ヨントウ(4-10)ゴトウ(5-10)、、シャッカクなどあり、予算に応じて薄くしたり、磨いてぴかぴかにしたものなど、蔵よって手間をかけたものもある。修理したなかで、栃木の町の中は、基礎が沈下した例はすくないですね。石があって、木材、竹はまあまあ手に入りますね。土は、荒木田(たんぼの土)に藁を混ぜるんです。藁が割れ止めなんです。藁か固いうちはダメ。なじませるのに3から4ヶ月。始まったら先に土を寝かせて置くんです。最初は石屋さん、大工さんがいて、左官やさんの仕事になります。栃木の町には職人がいたんですね。瓦と瓦をつなぎ留めるのに漆喰を使ったわけです。漆喰に使う材料は鍋山、葛生で石灰岩が採れた。石灰岩の岩を焼いて粉にして生石灰。水を加えて建築材に使えるように消石灰にして使っていた。桂離宮は、貝灰を使っている。蠣殻を焼いて、粉にしたものを使っている。何がいいかというと、塩分が入っていると持ちがよい。野州灰にも塩分を入れていた。徳利釜を山すそにつくり、コークス、石灰岩、コークス、石灰岩を重ねて置く間に、岩塩を0.7%程度混ぜて貝灰に近いものをつくった。あとは、麻を使うんです。仕上のとき藁のスジがでてしまうため、綺麗な壁にするため、麻を細かく切ったものを入れさらに、のり(角又:海草)を混ぜて漆喰ができる。蔵の街美術館のときは、昔からの方法でやりました。その後、白で仕上げて、黒(松煙)を塗って、キラ(雲母)をまぶしながら仕上げました。このように、材料が近くにあり、財力のある人がいたんですね。蔵を造る条件が揃っていたんですね。川越は、秩父の石灰があった。佐原には、貝灰とのりが有った。日本名立たる蔵がある所は近くにそういう物が在ったみたいですね。
Q:材料がそろっても、今の時代に修復するには、問題ないですか?
腕のよい職人を揃えられるか、教育できるんですか、
A:今、蔵の修理を南河内町でやってますが、本物の漆喰で直しています。
田母沢御用邸をやった職人がやっています。漆喰は生き物なんです。塗って仕上げても汗がでてくる。かまわないとぶつぶつができてしまう。絹で拭いてから手で磨いた。大きな壁の場合は、同じ技量の職人が並んで、作業して仕上げていった。一回で仕上げたようにしました。職人はいるけれど、高齢化しています。蔵の美術館でもそのようにやりました。栃木左官組合でやりました。"栃木にこういう職人がいるよ"とういう心意気でやったんです。そのへんの技術は、親がやっていたりして技量を持っています。まだ完全に切れていない。蔵は無くなったけれど住宅でやっていましたから。
Q:栃木の蔵の特徴は?
A:蔵は大きく分けると2つの造り方があります。屋根がやっこ蔵といって屋根がくっついているものと、屋根を浮かしているものが有ります。農家の蔵の場合はよく空いています。栃木の蔵はほとんどやっこ蔵です。石蔵で古いのは横山記念館です。あれは、深岩石を使っています。
Q:修景の苦労は?
A:蔵の街ルネッサンスで直そうとした時、傷み過ぎていたのが多かった。蔵を必要としない時代が続いたわけですね。日の当たらない所の傷みが大きい。通風があればいいけれど。昔の方式通りに直すには、お金がかかりすぎる。柱と土壁が剥離してしまう。これも修理するには、蔵のどのように直したら良いかを考えながら、現代工法と昔の工法をミックスして直していきます。材料には特に苦労しないですね。瓦とか梁などは保存してます。土壁の土もつかえます。木と同じように枯れていて、新しい土と比べると収縮が少ない。土壁をとっておけばよいが、土壁を直す人がいないんです。技法は昔と同じようなやり方はできるんです。それだけの要求して直す人が少ない。文化財は別ですけれど。栃木の場合は、修景補助がありますから、いくらか軽減されますけれど。今、小山でやっているのは、全て自己負担ですから、いいものを残そうという気持ちの人でないとやれないですね。
Q:蔵の街を今後も継続するには?
A:蔵を使った商売に結び付けることが重要じゃないですか。蔵を活かし生活をしていないと残らない。また、外観だけでなく、店から裏まで抜けた蔵が見せられるといいかもしれないですね。
Q:蔵の修景をしていくにつれ元々の江戸型蔵が変わってしまわないですか?
A:例えば瓦を直すにも切落しといって、面をとっていない。今の住宅用瓦は面がとってある。知っている人がやれば、切落しの瓦をつかうが、知らない人に瓦を葺いて下さいというと住宅用使ってしまうと重厚さが無くなってしまう。
ひとつひとつ、ものづくりの中では、違う面はある。自分で修景したものは気を付けています。
Q:市民への要望
A:関心を持ってもらいたい。蔵はどうできたのか、土をいじってみるとかやってみると面白いと思います。蔵をみんなで、活用して、自分の物ではないけれど、愛着を持ってもらえば。時代経過がこうだったという事を知るとか,何等かの形で、先祖が携わった事でもあれば、更なる愛着を持てるのでは。 "所有者ではないけれど、心の所有者"に!
何でも簡単に出来てしまう時代だからこそ、本物の"ものづくり"を熱心に研究され、実践されている山本さんでした。奈良で有名な宮大工の小川さんからもお手伝いの要請がきているとの事、今後のご活躍をお祈り致します。
平成14年7月9日
栃木商工会議所 相談室にて
聞き手:青年経営者会 広報委員会
中田、三室
事務局 島田
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